研究・開発の窓 COLUMN
日本人のトリメチルアミン尿症の実態と原因究明を進め、体臭に悩む患者を救いたい
昭和薬科大学 薬学部 清水万紀子准教授(薬物動態学研究室)
トリメチルアミン尿症(別名・魚臭症候群)は、「魚の腐ったような臭い」と例えられる悪臭物質トリメチルアミンによる特異的な体臭を特徴とする疾患である。生命を脅かす疾患ではないが、罹患者は学校や職場などで社会生活を送る際に精神的な苦痛を受け、生活に制限がかかってしまうこともある。
昭和薬科大学薬物動態学研究室の山崎浩史教授、清水万紀子准教授らの研究グループは、日本におけるトリメチルアミン尿症の実態や原因を解明する研究を続けている。
清水准教授は「赤身肉、卵黄、魚などに含まれるコリン、レシチン、トリメチルアミンN-酸化体などが腸内細菌叢でトリメチルアミンに変換され、小腸から体内に吸収されます。健常者では肝臓でフラビン含有酸素添加酵素3(FMO3)によって代謝され、無臭のトリメチルアミンN-酸化体となって尿中に排泄されます。トリメチルアミン尿症は、何らかの原因でFMO3による代謝機能が低下し、トリメチルアミンがそのまま尿や汗、呼気などに排泄されることで起きると考えられている(図1)」と同症の発症メカニズムを説明する。
FMO3はnon-P450薬物代謝酵素の一つとしても知られている。薬物代謝酵素の研究を専門とする山崎教授がFMO3に着目した研究の一環として、タイ人研究者とトリメチルアミン尿症についての共同研究を開始。2005年に昭和薬科大学教授に着任した後は、日本人のトリメチルアミン尿症研究を、同研究室の主要テーマの一つとして掲げるようになった。
被験者5000人以上の尿中トリメチルアミンを測定
同研究室のトリメチルアミン尿症研究は、薬学の基礎研究では珍しく臨床研究的な手法を用いている。ホームページで被験者を募集し、体臭に悩む多数の日本人から尿サンプルを入手し、尿中トリメチルアミンを測定するという枠組みである。
そのため「FMO3への興味もあったが、直接、患者さんたちの声を聞き、研究成果で貢献することができるのではないかと感じた」と清水准教授は研究に参画した理由を説明。
さらに、「当時は欧米ではトリメチルアミン尿症の症例が多数報告されていたが、日本ではほとんど報告されておらず、患者が存在するのかさえ定かではなかったが、20年近くで5000例以上のサンプルを集めて研究することができた」と続ける。最近では、医療機関から検査依頼を受けるケースも増えている。
FMO3によるトリメチルアミン代謝効率は、尿中のトリメチルアミンN-酸化体量÷トリメチルアミン総量(トリメチルアミン量+トリメチルアミンN-酸化体量)で表される。代謝効率100%は、悪臭物質トリメチルアミンが全く検出されなかった場合を指す。
代謝効率40%以下は日常生活に支障をきたすシビアなトリメチルアミン尿症、90%以上は健常者、70~90%は一過性の低下、40~70%は少し困っているグレーゾーンと位置付けられる。
同研究室が実施した5416例の分析結果では、シビアなトリメチルアミン尿症の頻度は2%程度、グレーゾーンはその2~3倍であった(図2)。ただし、母集団は体臭を気にしてサンプルを提供した人々であるので、日本人全体での出現頻度ではない。
「代謝効率はその日の体調によって変わることもあり、70%だった人が、別の日に測ると90%になっていることもある。ただ、40%以下になると、ほぼ全員が日常的に生活に支障をきたすほどの体臭に困っている。日本人でも欧米と同様に40%をトリメチルアミン尿症と考えるカットオフ値と推察される」と清水准教授。
FMO3遺伝子検査で日本人特有の遺伝子変異を確認
トリメチルアミン尿症の発症原因は、「先天性のFMO3遺伝子異常」、「後天性の代謝機能低下」、「一過性の代謝機能低下」の3つが考えられる。
以前から欧米の研究者が報告していたのは、FMO3遺伝子の異常による酵素活性の低下である。また、山崎教授は肝機能検査の数値が悪いとトリメチルアミンの代謝も低下することを明らかにし、肝機能障害が後天性のトリメチルアミン尿症の一因となることを指摘している。
清水准教授らはさらに研究を進め、次のような一過性のトリメチルアミン代謝機能低下があることを明らかにした。
①女性では日によって代謝効率の変動幅が大きい人が存在し、その変動は月経周期と連動する。
②FMO3は胎児期にはほとんど発現せず、出生後、徐々に上昇する。上昇時期には個人差があり、0歳~2歳ごろまでは代謝効率のばらつきが大きいが、多くは4~6歳ごろまでに健常な成人と同じレベルになる。
一方、先天性のFMO3遺伝子異常について同研究室では、代謝効率90%以下の層に対してFMO3遺伝子検査を行い、研究を進めてきた。その結果、日本人特有の遺伝子変異があること、遺伝形式は父方母方の双方に遺伝子変異がある場合(変異ホモ型)に発症する潜性遺伝であることが分かってきた。遺伝子の片方だけが変異したヘテロ型では「幼児期は体臭が出やすいが、成長するとほとんど出なくなることが多い。おそらく肝臓が未熟なため代謝が追い付かないのではないかと考えている」(清水准教授)という。
最近では、東北メディカル・メガバンク機構との共同研究も推進している。
「この共同研究でFMO3遺伝子の変異は90種類にも及ぶことが分かった。その中でどれがトリメチルアミンの代謝機能低下と強く関連するのかを研究している」と清水准教授は現状を述べる。
原因となる食品の研究も進め、魚ではタラはトリメチルアミンN-酸化体を多く含むがカツオには少ないこと、大学院生らの協力で実際にタラやカツオを食べて尿中トリメチルアミン量を測定したところ、タラで多くなったことなどを報告している。
清水准教授は「トリメチルアミン尿症の根治療法はまだ開発されていない。FMO3遺伝子変異の研究が進めば遺伝子治療なども技術的には可能と考えられるが、生命を脅かす疾患ではないので開発の優先順位は低くなるだろう」と予測。
その一方で、「だが、私たちの研究成果を生かして生活を工夫し、できるだけ症状を抑えることはできると考えられる」と強調する。
症状緩和の基本は原因となるトリメチルアミン前駆物質を含む食品の摂取量を少なくすることだ。それも「トリメチルアミンは肝機能が正常なら一晩で代謝されるので、翌日に多くの人が集まる場所に行く場合だけ控えるといった対応が考えられる」と清水准教授。
さらに、体に付着したトリメチルアミンを洗い流す方法もあり、米国のトリメチルアミン尿症支援財団はpH5.5~6.5の弱酸性石けんを推奨しているという。
最近では、テレビ番組でトリメチルアミン尿症が取り上げられ、同研究室への検査依頼数は大きく伸びている。清水准教授は「検査を受けることで、遺伝子異常がなければ安心できるし、異常があっても症状を抑える方法を知っていれば生活への影響も小さくできる。医療機関への相談も増えていることから、さらに啓発活動を進めていきたい」と話している。
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